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エスタブリシュメン

 投稿者:不純  投稿日:2017年 3月 2日(木)21時34分0秒
編集済
  変換が支配階級となると、ピンとこないところもあるが、
今、存在している以上、過去からのベクトルの最先端にあり、
死者及び無に対して既得権を有し、常に特権的に振る舞うことができる。
それはお互い様ということであれば、全く反対な話にもなってしまうが、
大人はおおむね半分死者及び無でもありながら、やはり生及び存在なのだから、
鮮やかには反転しまい。
だから我々、存在は、すべてが保守的だと言える。

落ち着きのない人々が革新的に振る舞っても、ベースは保守でしかない。
わざわざ主義らんでも、勝手に変わってきたし、これからも。
我々は勝手に変わる仕組みが長続きするよう、
足元を見据え、存在に拘ればよい。


170322(水)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
170426(水)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
170524(水)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
170615(木)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
170726(水)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動

合ってるかな。
 
 

 投稿者:不純  投稿日:2017年 2月 2日(木)23時13分57秒
編集済
  今の日本で考えれば単純に、
「エックスのためなら迷いなく臓器を提供」を実行させる力と例えられるか。
それは極めて強い作用を持つ反面、けして遠くへは及ばない性質をもつ。
弱いがどこまでも作用する重力とは真逆な感じ。

宗教、文学等、様々な文化芸術のマジックワードに欠かせない感情に基づく力だが、
愛をベースにした人類長生きのための理想は、理想に留まるのではないか。
確かに愛は基本的に全人類にあり、普遍的な力ではあろうが、
その作用は近しい範囲に限られており、
歴史上、本当に大きなうねりを生み出す力になった場面はあっただろうか。
自宅の部屋でセイレーンの声がピーポピーポ聞こえてきても、我々は寝ていられる。

氏に基づいた力で調和が保てたのは150人~古代まで。現在は70億人。
社会を変える力としてLOVEに可能性はあるか。
残念ながら麗しき他愛にそういう力はないように思う。
しかし自己愛ならどうだろう。


170205(日)13:00開場 釜ヶ崎「難波屋」さんにて狛犬修行
            御神体「シャーシーバンド」
170222(水)20:00頃 東心斎橋「ら」さんにて狛犬活動

 

縦割り

 投稿者:不純  投稿日:2017年 1月20日(金)00時19分27秒
編集済
  情報の記録容量が桁違いに増大している昨今、
核戦争による「御破算で願いましては」がなければ、
次世代以降は革命的な遺産を手にすることになるだろう。
書き言葉が発明されて以来の我々が学んだ日本史、世界史などは、
一種の神話として扱われてしまうような。

とは言え、膨大なそれらは情報の遺産でしかなく、
とーちゃん、じーちゃんもそうしてたし、
ひーじーちゃんだってそうしてたようだから自分もそうしてる、
といった強いリアリティーを遺産に求めるのは難しい。

横の繋がりの大切さを説く声はやかましいが、
横の声などは、ほめほめタイムというか、合わせ鏡の無限が現した一本の蚊柱。

既にあやしかった「夜明け前」の頃からだいぶん経った現代、
皆が同じ村に住み続けていた頃のリアリティーはもう無くなってしまったが、
僕らが本当に耳を傾けたいと思っているのは、縦を通る声ではないか。
横の対話も、大切なやり取りは、縦を背負い、縦に促されて行われているように思う。
矢印も、細長くなければ役目を果たせない。
世界が不可逆である以上、本質的な風は縦にしか吹かないのだし。

失われた縦の質は、情報の量が補ってくれるだろうか。
目の前の短い縦の現実に翻弄されて無になって快調。


スーちゃんは寛大だで。
 

(無題)

 投稿者:博物館長  投稿日:2017年 1月15日(日)18時35分56秒
編集済
  ミキちゃん好きの断面しか知らんかったから、スーちゃん好きの告白は意外。スーちゃんは譲らんぞ。

夜勤をすると身体が戻らん。
すべてにおいて切れ味がなくなる。
イライラするってのはこういうことなんやろか。
 

キャンディーズ

 投稿者:不純  投稿日:2017年 1月12日(木)23時05分53秒
編集済
  アンドゥットラーとイノセンスを一夜で燃やし尽くす誘いをかけてきたが、
当方、そん頃は駄菓子屋通いでアメをなめてた。
キャンディーズはいろんな味がしたな。

小さい頃、真ん中のスーちゃんがよかった。アグネスちゃんも。
ちょっと大きくなった頃、真ん中にランちゃんが来てた。
で、やっぱランちゃんがええんやんか、って。
そん頃、桜田純子(スーちゃんぽい)もよなってた。ねじれとる。
小さくなくなった頃、ええんはミキちゃんぐらいしかおらんやん、って。
そん頃、木之内みどり、小林麻美とかもおったな。

ピンクレディーもオコトみたいで大好きやった。
ミーちゃんもケーちゃんも、やらこてんで一緒に草野球やってた感じ。
ビートーズはオトコオンナな感じかな。素直にフュージョンできた。

モノに戻るまえ、最後はスーちゃんに返ると思う。
もう我々の紅白歌合戦はなくなってしまった。来年からは「功祥」やし。
祝日は増やして欲しない。


170125(水)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
170205(日)昼頃か  釜ヶ崎「難波屋」さんで狛犬活動

 

タコ

 投稿者:不純  投稿日:2016年12月30日(金)15時35分30秒
  中学生の頃か、いや案外、大学生の頃だったか、
昔、ラジオで聞いたおばあちゃんのタコ絶ちの話を憶えている。
なにせ昔なので詳細はあれだが、
自分の母について綴ったおばさんの手紙をDJ(浜村純?)が紹介してて、
おばあちゃん(おばさんの母)が若い頃、自分の息子か旦那かが重い病に罹り、
占い師に聞いたか村の旧い風習であったかとかで、好物を絶つ願掛の方法を知り、
中でも一番好きなものを絶つ方が祈願の力も強まるとかで、
おばあちゃんはそれまで一番の好物だったタコを絶つことにしたそうな。
そして、それから半世紀たった今もタコには手を付けていないという。

こんな話もまた、もっとのぞかんと見えてこない世界。
そういや若い夫婦が子どもを授かり、手取20万弱ではしんどいと、
毎朝、新聞を配ってから会社に行く若い世帯主もいたなあ。
「会社にバレたらまずいすかね」と相談してきたので、
遅刻や居眠りをせなんだら全く問題ない、と励ましといた。

大人には陰の努力、普段の積み重ねが普通にある。
若い頃、‘つまらない大人にはなりたくない’ってフレーズに共感してたけど、
‘昔のピンナップ’を‘みんな壁から剥がして捨ててしまった’のはだいぶん前。
音楽もあまり聴かなくなったし、映画もあまり残らなくなったなあ。
ドライ ドライ。
 

のぞき

 投稿者:不純  投稿日:2016年11月24日(木)22時24分53秒
  英に米にと、身も蓋もない時代になったもんだ。
ネット環境がインフラとなった以上、まあそうなるわな。

普段、覆われている本音の世界は、猥雑なものも多く、
好奇の対象となり易いが、
そんなもんは大昔からあったDNAのあらわれで、
別に珍奇なものではない。
のぞくなら、もっとのぞかなければ。
常識とか日常とかあたり前を支えている不断の営みもまた、
表にはあらわれて来難いもの。

のぞいた本音の中に見えてくる営みは、
建前の世界に改めて血を通わせる力になろうし、
猥雑なものも、「所詮は人間」といった認識で、
人間の驕り高ぶりを抑制する力になろう。
歓迎でええ。


161201(木)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
161215(木)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
 

ドキュメンタリー

 投稿者:不純  投稿日:2016年11月 8日(火)22時55分4秒
  先日、沖縄のドキュメンタリーを観た。
基本的人権の尊重はひとりひとりの問題だが、
民主主義のもとでの決定が多数決でなされる以上、
それは妥協の産物には違いなく、純粋に全員一致な件以外のケースでは、
質の違いこそあれ、必ず犠牲は生じる。

犠牲者からのありありとした正義や言い分は、
当然に共感し易いものとしてあるが、保守側の正義も無下には出来ない。
過激とされる推進派的又は古狸の利権的な鼻息などではなく、
例えば自給自足な生活基盤を持たない普通の市民が、
できもせん理想に固執しようとする半端な自己愛から離れ、
政治的カードの力をイメージしながら、
現在及び十年先の生活における最善について考え、
下された判断にも普通に共感できる。
ベストではないにしても然るべき一歩一歩。
民主主義的な歩みとは基本的にそういうもんだ。
沖縄県政の履歴は保守と革新で揺れ動いてきたが、
革新の時代においても独立派が多数を占めることはなかった。

こうしたドキュメンタリー(ありありとした姿、言葉をありありしく
プロデュースするためのフィルム)に触れる体験は、
少なくとも差別意識や偏見をなくす意味で有意義だが、
民主主義(現在においていちばんマシとされるism)への
自戒を促す意味でも意義がある。自戒を忘れた民主主義はほとんど全体主義。
ドキュメンタリーのスクリーンは常にまあたらしい。


161117(木)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
 

単純で基本的なこと

 投稿者:事由似不純  投稿日:2016年10月13日(木)21時46分51秒
編集済
  宇宙に真空や無がない以上、宇宙はモノに満ちているしかなく、
1であったり1であったり1であったりするがワン(ぐにゃぐにゃ変化はしてるが)。
ヘラクレイトスの川も、鴨長明の川もまあ同じようなもん。
すました感じのさざれ石かて、原子内では大忙しで、
宇宙に動いてないもんはない。真空や無もないが、不動もない。

目えは可視光しか分からんので、すき間や境があるように見えるが、
風に逆らわせる力があるように、皆、
充満した中で押し合いへし合い、おしくらまんじゅりあっている。
137億か138億かはどうでもええが、
そんのようにずっとぐにゃぐにゃしてきた。


161020(木)20:00頃 東心斎橋「ら」さんで狛犬活動
161023(日)sometime 長居西公園「元気まつり」で狛犬活動

 

ごちそうさま

 投稿者:不純  投稿日:2016年10月 6日(木)22時44分41秒
  空っぽの皿や碗に頭を垂れ、食した生命に向ける礼。
生命を食物として皿に乗せるまでに携わった労務者に対しての礼は二次的なもの。
最近、外食飯店でよくきこえてくる「ごちそうさまでした」にはずっと違和感があった。
皿に頭を垂れてる者はいなく、礼はもっぱら店員に向けられているようで。

この二次的な「ごちそうさま」は、「お疲れさまでした」と同じで、
本来は目上の者が目下の者を労う際の礼であったように思う。
「お客様は神様です」の文脈にそえばまあ円滑なのかもしれないが、
そんな店側のやや自虐的な文脈に乗れるのは、
個人飯店のオーナーに面した際だけで、
時間給労務者である店員に対しては乗り難かろう。
ワンツーワンなサービス業ではない飲食業に従事する彼らにとって客は、
基本、仕事を増やす者。

たかだか千円未満の対価で、
つくってもらったうえに上げ膳据え膳の大サービスを享受。
自分の場合、「ごっとーさん」とくずして言うこともあるが、
だいたいは「どーもー」か、さーっと退席しながら
店員の気配を感じてしまったら、会釈して退店している。
声には出さないが、礼としては「すんません」かな。

 

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